カジュアル 経済 #18 ー 「経世済民への道」正しく、そして寛容に。
こんにちは! iscandaruです! 今回のエントリーはいつもと趣向を変えた「番外編」をお送りしたいと思います!
そして、この記事はなにより「正しい経済の知識」をすでに持っているみなさんにこそ読んでいただきたいと思っています。 今回は筆者の私見100%ですが、どうぞお付き合いください。
このカジュアル経済のシリーズを連載している中で感じたことがあります。 それは「経済の知識を広めるのは難しい」ということです。
やはり「経済・政治」というと難しくて重苦しい雰囲気があるのでしょうか。 すでに経済について関心を持っておられる方に対して、あまり関心のない方、特に若年層にはなかなか話を聞いてもらえない、という現実があります。
その現れなのかもしれませんが、日本の「国政選挙の投票率」は衆参問わず減少傾向にあります。
総務省リンク
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このような「政治経済への関心の低下」は民主制国家たる日本にとって重大な問題だと感じますし、きっとみなさんもそう思われているかと思います。
ではなぜ、このような事態になってしまったのでしょうか。 その原因について考察していきます。
経世済民のために超えなければならない
「3つのハードル」
手始めに、政治経済についての関心が薄くなってしまった原因を考えてみましょう。 私なりに3つのパターンに分類してみました。
- 「放任主義」パターン
「自分が参加しても変わりっこない」「なんだかんだうまくいくだろう」という漠然としたイメージのもと経済に関わるのを諦めているパターン。
- 「触らぬ神に祟りなし」パターン
ワイドショーでの批判や過激な言論活動によって経済界に「いつもケンカしている」というイメージを抱いていて、あえて触れないようにしているパターン。
- 「よくわからない」パターン
大切なことだとはわかっているが「経済は難しい」という固定観念があって、結局参加できないパターン。
だいたいはこのどれかのパターンに当てはまるのではないでしょうか? こうしたパターンにハマってしまうと、なかなか経済について学ぼうとは思えないのかもしれません。
ではこのような層に「正しい経済の知識」を知ってもらうにはどうしたら良いでしょうか? 考えていきましょう。
超えなければならない「3つのハードル」
「経済に興味がない人」に関心を持ってもらうためには超えなければならない"ハードル"が存在します。それは「3つの"識"」にかかわるハードルです。
「"意識"のハードル」
このハードルは「経済に興味を持つ」という「意識」に関わるハードルです。最も多くの人、特に「放任主義パターン」の人が超えられていないハードルであり、最初にして最大の関門です。
このハードルを超えるためには「自分の生活と経済が密接に関係している」ということを踏まえて、経済の面白さ、重要性を小難しいこと抜きでわかってもらう必要があるでしょう。
そうして「経済ってなんだろう…?」と疑問に思ってもらい、自発的に"学ぶ姿勢"をとってもらうことでこのハードルを突破できるのではないかと私は思います。
「"知識"のハードル」
このハードルは「正しい経済の知識」を獲得するハードルです。これは「よくわからないパターン」の人がハマりやすく、「経済=難解」というイメージを払拭しなければなりません。
優しく丁寧に、そして理解が難しいことに共感しながら伝えていかないと、このハードルを超えられずに離脱していってしまいます。最悪の場合、私たちが教えることに対して「トンデモ論」「陰謀論」というレッテルを貼られてしまうかもしれません。
もし、このハードルを乗り越えられたのなら、自然と次のハードルへと進めますし、「知識を広める」という役割を担ってくれるでしょう。
「"見識"のハードル」
最後に立ちはだかるのが「見識のハードル」です。これは「正しい経済の知識のもと、意見を発信する」ハードルです。
このハードルを超えると、今までに得た知識をもとに自分の意見を発信したり、このハードルの前段階にいる人に知識を伝えられるようになっているでしょう。
さらに、SNSやメディアなどの各種媒体で議論をされるのもこの段階の方々です。ただし「正しい経済観」の下でとは限らないため、議論が難航することもしばしばです。
この段階にいる人の果たす役割は非常に大きく、議論の方法や「正しい経済の知識」伝え方によって、前段階のハードルの人がついてくるかが決まります。
もしも誹謗中傷やマウントを取るような高飛車な態度だと、「触らぬ神に祟りなしパターン」の層を増やしてしまうかもしれません。
高いレベルに達しているからこそ、「建設的な議論」「寛容性のある態度」で発信をしていかなければいけないですよね。
このように、経済の知識を広めるためには以上のハードルが存在します。したがって、このハードルについて理解しないまま議論をしようとしてもなかなか噛み合わないんですね。
では、どのようにすれば「正しい経済の知識」を広めたり、「建設的な議論」をすることができるでしょうか。 次の章で考えていきます。
正しい経済観を広めるための「心得」
ではハードル別に「知識の広め方」について考えていきましょう。 まずは「意識のハードル」ですね。
「意識のハードル」を超えるためのメソッド
このハードルを超えてもらうにはなにより「経済に興味を持ってもらうこと」が第一です。 まずは「おカネの正体」や「国の借金」などのキャッチーな話題から入るのがオススメですね。
そしてここで注意しなければならないのは「現政権や特定の個人に対する批判は避ける」ということです。先ほどの「触らぬ神に…パターン」の人に特に多いのですが、現代人には「批判アレルギー」を持つ人が一定数います。
もちろん「適切な批判」はあって然るべきなのですが、SNSやコメント欄の影響か「批判」と「アンチコメント」を混同する傾向が強まっているんですね。
ですから、この段階で「批判や意見」を示すのは時期尚早です。 まずは経済に対して「前のめりな姿勢」を作ってもらうことが何より大切だと言えます。
「知識のハードル」を超えるためのメソッド
「意識のハードル」を超えて、次は「正しい知識」を学んでもらう段階へと移行します。ここで大切なことは「寛容性と丁寧さ」です。
これは経済に限らずあらゆるものに通じるのですが、物事を学ぶときには「最初が肝心」です。ここでしくじると下手すると一生私たちの話に耳を傾けてもらえません。
最初は簡単に噛み砕いて、要点だけを伝えましょう。車を運転するのに「エンジンの作動原理」が分からなくても大丈夫なように、最初から専門的な領域に踏み込まなくてもいいのです。
最初に理解すべきことは、「貨幣観」「GDP三面等価の原則」「共同体意識」あたりでしょうか。これらが分かっていれば最初は十分でしょう。
そして何より大切なのは、教える側が「"感覚とズレる知識"を教えている」という意識をもつことです。 「"物々交換→おカネ"は誤解」や「政府の借金は返済不要」「税金は『財源』ではない」といったモノは一般的に"受け入れがたい"事実です。
かつて「重いものと軽いものでは重いものの方が早く落下する」と信じられていたように、「正しい知識」は往々にして「感覚とのズレ」が生じるんですね。
したがって、ゴリ押しでこれを理解させようとしてもかえって逆効果です。例え話を使ったり、きちんとデータを見せて説明することが大切です。もしかするとここでも「批判的な内容」は少なめのほうがいいかもしれませんね。
しかも、多少の勘違いや間違いがあっても「丁寧に優しく、寛容な精神で」教えなければいけません。 今教えている人たちは「将来的な同志」ということを思いながら、中学生でも理解できるような説明を心がけましょう。
もしもそれが難しい場合はわかりやすい動画や記事、またはこのカジュアル経済に説明を任せてもいいと思います。(「詳しくはコチラから!」的な誘導ですね。)
そうして「正しい知識」を得られた人は、あとは自発的に自分の知識の補完をしていくでしょう。 そうなればもう立派な私たちの「仲間」ですよね。
「見識のハードル」を超えるためのメソッド
実は「知識のハードル」を超えたなら、「見識のハードル」を超えることはそう難しくありません。 得られた知識から「経済の現状」を鑑みれば自然と「自分の意見」が芽生えてくるはずです。
ただ、ここからが見識のハードルを超えた人たちの試練です。 自分の意見を発信したり、異なる意見を持つ人と議論すると、反論されることがあるでしょう。
そのときに、「人格攻撃」や「レッテル貼り」がダメなのは当然のこととして、「丁寧かつ建設的な議論」をすることが最も重要です。
ソースを示し、論理的に整合性をもって、丁寧な言葉遣いで説明しなければ、話を聞こうと思われず、理解は広まらないでしょう。
Twitterや各種コメント欄などでの議論は、当人同士だけでなく、外部の人間もみています。もし「誹謗中傷」や「理性的とは言えない言葉遣い」などが含まれていると、見識を持たない人に「怒ってる」「怖い」という印象を与えかねません。
例え、相手が自分の言うことを頭ごなしに否定して、腹が立ったとしても「同じ国民だから」と考え、最後まで丁寧な対応を徹底することが重要です。
そうして丁寧な説明を続ければ、あなたは文句なしで「経世済民」の一端を担う役割をまっとうしていると言えるでしょう。
以上、「3つのハードル」について説明でした。このようなことを意識すればきっと「正しい経済に関する知識」を広めることができるはずです。
くれぐれも注意しなければいけないのは「ハードルをまたぐ意見交換は衝突を生む」ということです。 見識を持つ人同士が議論するのは妥当ですが、そうでない場合は軋轢を生じさせてしまうかもしれません。
「見識のハードル」を超えた人が「知識のハードル」や「意識のハードル」以前の段階にいる人に自分の見識を伝えたとしても、なかなかわかってもらえないですし、反感や誤解を生むのが関の山でしょう。
したがって「自分の立ち位置はどこなのか、相手はどのハードルにいるのか」を常に意識しながら活動することがとても重要なのではないかと思います。
そして最後にお伝えしたいのは「対立していても同じ国民だ」ということです。
貨幣観や財政に対して根本的に意見が対立する場合や、政策や解釈などの枝葉の部分で意見が異なることもあるでしょう。 しかし客観的に見れば、様々な意見を持つ人々を全て含めて「同じ国民」です。
最終的には運命を共にする仲間なのですから、ある程度の「寛容性」を持って接することが大切なのではないでしょうか。
根本的に意見が異なる人にはデータから「正しい経済観」を説明する。枝葉で異なる人とは、根本的な部分での協調をしながら、建設的に議論をする。こういったことの積み重ねが経世済民につながると私は信じています。
どうか、「同じ国民」という意識で、「寛容性」をもって、「正しい経済観」を広めていきましょう。
ということで、「"正しい経済の知識"の伝え方」についてのエントリーでした。 いかがでしたでしょうか?
経世済民のために、一人でも多く、正しく経済について理解する私たちの仲間が増えることを願うばかりですね。
全ては、我々一人一人がどう発信し、伝えていくかにかかっています。 是非皆さんの力で、「正しい経済観を持った世論」を形成していきましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ではまた!