カジュアル 経済 #10 ー 「おカネ=物々交換」という"誤解"
こんにちは! iscandaruです!
前回までの「経済成長ってなに?編」はいかがでしたでしょうか? 経済についてちょっとでも見えてくると面白いですよね!
ということで、今回からまた新しいシリーズを始めたいと思います! 題して、
「おカネの正体編」です!!
みなさんは「おカネ」についてどのくらい理解されているでしょうか? お札に描かれている偉人の名前は答えられても「おカネって結局なんなの?」と聞かれるとなかなか答えにくいですよね?
そんな身近だけどよくわからない「おカネ」について、このシリーズで解明していきます!
というわけで「おカネの正体編」の第一回目の今回は「国の借金1200兆円」と同じく、みなさんがなんとなく信じられている「誤解」について考えていきたいと思います! その誤解とは・・・
おカネは「物々交換」から生まれた。
というものです! これはよく聞きませんか? なんなら学校で習った気すらします。
具体的に言えば、「おカネはどうやって生まれたのか」という疑問に対して、このような説明がされますよね。
「物々交換」は欲しいモノを持っている人同士の間でしか成り立たなかった
いちいち交換しに行くのは面倒だし、時期が合わなかったりした
↓
商品を一時的に「おカネ」に交換しておく
↓
おカネを持っていれば欲しいモノをいつでもどこでもに買うことができる
↓
「おカネ」は「物々交換」から生まれたんだ!
たしかにもっともらしい説明です。 でも、この認識もよくよく考えてみると「マチガイ」なんです。
では、どうして「おカネ=物々交換」がマチガイなのか、検証していきたいと思います!
検証その1 「物々交換の経済」は歴史上存在しない!?
実は、ありとあらゆる人間社会において「物々交換のみ」で成立していた経済は世界中、そして歴史上のどこを探しても見つかっていません。
つまり、物々交換がメインで経済が成り立っていた実例がいままで1度も見つかっていないんですね。 ですからそもそも「物々交換の不便さをなくすために…」という前提が崩れてしまいます。
したがって「物々交換からおカネが生まれた」の論理も根底から覆ってしまうんですね。
この事実が大前提となるのですが、これだけでは納得いただけないと思うのでさらなるオカシイ点を考えていきます。
検証その2 「おカネ=モノ」の矛盾
「物々交換の経済」が存在しなかったと言っても「物々交換自体」が存在しなかったわけではありません。 しかしそれでも「物々交換からおカネが生まれた」では説明できないことがあるんです。
物々交換によっておカネが生まれたとすると、おカネの正体は「モノ」ということになります。これは例えば、金貨や小判、もしくはお札などの「実体のあるモノ」が「おカネ」という意味です。
このイメージは皆さんの中にも強く根付いていると思います。例えば福沢諭吉が描かれた「1万円札」をみたら皆さんはその「1万円札自体」に価値があると思いますよね。
しかしながら、そのイメージこそが"誤解"を招いてしまうんです。 少し想像してみてください。 例えば「金貨」が皆さんが使う「おカネ」で、金貨1枚あたりに1万円の価値があるとしましょう。
造られたばかりの「金貨」はピカピカで少しの傷もありません。もちろんそれは「1万円」の価値がありますよね。しかしその金貨が何年も使われ、傷だらけになったとしたらどうでしょう?
普通に考えればその金貨の価値は変わらず「1万円」ですよね。でもピカピカの金貨より、傷ついて「金の量」が減ってしまっているのに、それは同じ「1万円」であると言っていいのでしょうか?
「おカネ=モノ」の考えであればその理屈は通りません。なぜならその金貨はもともと「1万円分の商品と交換できる金の量」でつくられているのですから、傷ついて金の量が減ってしまったのなら、それはもう「1万円」ではないということになるんです。
しかし現実ではそういったことは起きません。「新札の1万円札」だろうが「ボロボロの1万円札」だろうが、みなさんはそれを「1万円分の商品」と交換することができますよね。
したがって「おカネ=モノ」という考えは間違っていることがわかります。ここでも「物々交換からおカネが生まれた」の論理が破綻してしまうんですね。
検証その3 銀行預金のナゾ
皆さん「銀行預金」を使っていますよね。 水道やガス代の引き落とし、様々な振り込みに使うことのできる「銀行預金」も立派な「おカネ」であるといえます。
では「銀行預金」を1万円分増やすにはどうしたらよいでしょう? 一番簡単な方法は「銀行に行って1万円札を預ける」ではないでしょうか。 ではなぜ、1万円札を預けると銀行預金が1万円増えるのでしょうか?
「いやいや、馬鹿にしないでよ(笑)そりゃ1万円札を預けたからでしょ。」
はい(笑)もちろんそうなんですが、皆さんの中にこういうイメージがありませんか?
銀行に1万円札を預ける
↓
銀行は大きい金庫にその1万円札をためておく
そして預けた人の口座の残高を1万円増やす
↓
誰かがお金を借りにくる
↓
銀行は金庫から貯めておいたお金を渡す
というように、銀行には大きな金庫があって、預けられたお金が貯められている、というイメージが誰にでもあると思います。
しかしながら、これもあるデータをみるとオカシイことになるんです。 日本銀行が公開しているデータにこのようなものがあります。
2020年(令和2年)の大晦日、(中略)銀行券(お札)の残高は、合計で118.3兆円(枚数では178.5億枚)でした。
引用元:日本銀行
一方で「銀行預金」に関するデータで次のようなものになります。
全国の市中銀行(皆さんの使っている銀行)の預金残高「約832兆円」 ソース元:全国銀行協会
つまり、現金紙幣(お札)と銀行預金の金額を比べると、次のような関係があるんです。
銀行預金(832兆円) > 現金紙幣(118兆円)
ということは銀行預金の方が現金紙幣のほうが7倍程度多いことになります。これはオカシイですよね。
先ほどの銀行預金が増えるプロセスによれば、銀行は預けられた現金をためて銀行預金を増やしているはずです。ということは、必ず「銀行預金の量=現金紙幣の量」となるはずですよね。
でも、実際には銀行預金の方がずっと多いわけです。つまりこれは「銀行は預けた現金をためて貸し出しをしている。」という前提自体が間違っているということになるんです。
以上をまとめると「『銀行預金』は間違いなく『おカネ』であるにもかかわらず、『現金紙幣』という『モノ』より多い量が存在している。」ということになります。
またしても「おカネ=モノ」という前提が破綻してしまいました。
ということで、今回は「おカネは物々交換により生まれた」という考えに関するオカシイ点について指摘してきました。 こうしてみると明らかに「物々交換からおカネが生まれた」そして「おカネ=モノ」という論理は破綻していることがわかりますよね。
では結局「おカネの正体」はなんなんでしょうか? おカネがモノでないとしたら、お札やコインはなんなんでしょうか?
気になりますね…! そんな「おカネの正体」について次回、解明していきたいと思いますので、気になる方は是非チェックしてみてください!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ではまた!